top of page

Project

事業・実績

  宮城県仙台市在住。地元東北工業大学現ライフデザイン学部を卒業後、資生堂への入社を熱望し最終面接まで進むが不採用。落胆し、他を受験する気になれずバックパッカーとして30日間のヨーロッパひとり旅へ。帰国後、地元大手印刷会社のデザイン会社に入社、その後、デザイン事務所勤務を経て、2年後の25歳、デザイン事務所を創業。自身の強みを活かしグラフィックデザイナーとして活躍。1982年、30歳で株式会社オークジャパンを設立、代表取締役に就任した。神主である父親が、祝詞の一文から“青々と茂る楢(なら)の葉の繁ゆくが如く”から、楢木(=ジャパニーズオーク)のようにとの想いを込めて命名した。同年、雑誌クロワッサンによる「クロワッサンの店」仙台店オープン。同年、東北工業大学元教授・小田襄氏、元助手・八重樫良守氏の支援を得て、版画スタジオ「アトリエ930」を開業した。10年間経営後に休業、志を掲げて東京の中野にあったアントレプレナーカレッジに入学した。当時、日経ビジネス誌・日本デザイン会社ランキング売上5億6千万円で全国56位に。

 1990年頃よりCI&PI(コーポレート・アイデンティティ&パーソナルアイデンティティ)計画を主たる事業として取組み、上場を目指す地元中堅企業のCI計画に取組む。うち3社が上場企業となった。2000年、日本CI会議体より「21世紀CI展望」を会員21人と共に発刊。21世紀へのメッセージを提言した。同時期、社員教育機関で「脳力開発」インストラクターとして12年にわたり社員教育を行う。また、複数の社外取締役、国際ライセンス事業に取組み、米国、南米、欧州など世界30数都市で出版・事業構想・講演活動を行う。また、英国のナージャ・スワロフスキーよりミラノサローネ招聘、出品のシャンデリアデザイン、皇室・高円宮妃久子殿下・晩餐会プロデュース等、多彩な経験を積み地元仙台に戻る。

 2008年頃より第一次産業の支援に取組み、農商工連携や6次産業化、人材育成事業に取組み、一次産業と首都圏企業との連携事業等をプロデュースした。さらに輸出プロデュースの取組み、中国、香港、シンガポール、タイ、インドネシア、カンボジア、台湾への商流づくりに奔走。香港では日本料理店プロデュース。安定的に農林水産物の輸出を可能にする商流をつくり現在に至っている。6次産業化プランナー(国・県)に認定。事業構想プロデューサーとして、事業化を支援している。

 2011年、東日本大震災に遭遇。仙台国際空港の海側の北釜集落の100戸の壊滅により、同集落住民から「仙台エアポートリゾート構想」作成の依頼を受けた。宮城大学大学院・事業構想学研究科に学び、観光ビジネスを伴った「海岸林と農業」の再生による被災地支援の仕組みを論文発表した。その間、復興アドバイザーとして被災者に寄り添い、集団移転問題について旧山越村での勉強会開催や復興支援に理解を示す国会議員の招聘、地域新聞づくり、震災遺稿づくりに携わる。並行して(公財)オイスカが取組む「海岸林再生活動」の広報に深く関わり、海岸林再生の会・会長の秘書役としてワシントン・世界銀行での講演や、リオ+20、インド、台湾などでの視察・講演にも携わり、現在に至っている。

 その経験から社会起業家の役割が今こそ必要とされていると考え、被災地発の「SDGsアウトサイドインカードゲーム」で社会起業家支援を構想した。(株)プロジェクトデザインに開発を、(株)オルタナに監修を依頼し、ビジネスを通じで社会課題を解決し持続可能な社会づくりに取り組むことを実践している。事業構想プロデューサーとして、SDGsアウトサイドインを、「世界のSDGs達成度ランキング」第3位、学力世界第一位、「幸福度ランキング」2年連続1位等のフィンランドに学ぶ研究所を設立、”for you/あなたのために”を糧に自己研鑽に励んでいる。

copyright © social business lab. All Right reserved.

bottom of page